1997年12月27日土曜日

リーダーシップについての一考察

1998.12.27

1. はじめに


不透明な時代を反映してリーダーシップへの期待が高まっている。特に、このような閉塞感が強まっている時代であるから、在来型のリーダーではなく、積極果敢に変化の旋風を巻き起こす、西欧型のカリスマ豊かなリーダーを求める声が高くなっている。しかしリーダーシップとは、そのリーダーが指導する組織の形態や、その組織が所属する社会の文化風土によって自ずとそのあり方が異なってくる。現代の日本社会において、さらに総合商社という組織を想定し、求められるリーダーシップとはどのようなものか、考えてみたい。

2. 外的環境によって異なるリーダーの要件

A. 社会風土とリーダーシップ

1. さまざまな文明とリーダーシップ

リーダーシップといえば、古代エジプトのような絶対的権限を持った支配者が整備された官僚制度を通じて支配、命令し、偉大なピラミッドのような建設を行う社会におけるリーダーシップを想起する。支配者の絶対的な権力と官僚組織、被支配者の民度の低さが特徴である。文明が進歩するに連れてこのやり方では通用しなくなる。そこでいろんな工夫がなされる。

たとえば、求心力として「宗教」や「イデオロギー」を利用して全員を一つの方向に向けるやり方である。イスラム教、十字軍、新教旧教をめぐる宗教戦争など。近代では共産主義政権下のソビエト。オーム真理教。一向一揆。ドグマが重視される一神教の社会である。特徴的なことは、当たり前であるが、はじめにドグマがあること。組織の構成員はそのイデオロギーを信じた上で組織構成員となっており、組織の目標は、そのイデオロギーそのものであること。また、その宗教的熱狂は、それほど長くは続かないことなどが欠点である。

徐々に文明が成熟し、社会の民主化が進んでくると、いろんな意見を持つ人が出現してくるので、社会は多様化してくる。その多様な人々を一つの方向に向かわせることは、もともと難しいし、多くの場合その必要性もない。しかし戦争勃発などの非常の事態には、全員が言葉で議論して方向性を確認することが必要になる(ギリシャ雄弁術の伝統)。ローマ時代には、非常時には「独裁官」を民主的に選ぶということもなされたし、外征する将軍には「絶対権限」が与えられた。ギリシャ、ローマ時代の共和制における軍隊は、いずれも「歩兵が強かった」ことに特徴がある(ギリシャの重装歩兵、ローマの亀甲軍団)。納得した上での出征であり、モラルが高かったということである。

「民主主義は怒りで戦う(デモークラシー・ファイツ・イン・アンガー)」。民主主義の軍隊は、戦争の初期にこそ弱いが、いったん本気になると絶対主義諸国の軍隊よりもはるかに強いとされている。20世紀の戦争が、社会全体を巻き込んだ総力戦の様相を呈するようになり、なかなか決着が付かないようになったのも、社会が総じて民主化されたため、どちらもなかなか負けなくなったからだ、といえる。

現代西欧社会では数々のすぐれたリーダーを生んだが、この背景には、ギリシャ、ローマ時代に遡る「民主主義体制下における戦争」という長い経験があるのかも知れない。

1. アジアの社会風土の特異性

このような西欧社会に対して、アジアの社会は独特の性格を有している。「村社会」、あるいは「コンセンサス社会」ともいえる、寄り合いによる意思決定システムである。このような社会においては、強いリーダーシップが発揮されにくく、すぐれたリーダーが育ちにくい。現状維持には向いているが、大変革期には向かない。近世、アジアが欧米からの挑戦に破れ、次々と西欧の植民地化されていったのも、この辺に原因があるのかも知れない。

またアジアには「多神教の風土」根付いている。「多神教」と「一神教」が戦うと、ほとんどの場合「一神教」が勝つ。

たとえば、新大陸に攻め込んだコルテス軍は、ただ神をひたすら信じて、数百の軍勢で数万のアステカ軍をせん滅した。プラッシーの戦いにおいては、インド軍は、十分な装備を有していたにもかかわらず、はるかに少人数のよく訓練されていたイギリス兵にさんざんにやられてしまった。

同じ理由で、現代の中国も「共産主義」と「ナショナリズム」が国を一つにまとめているから強国となっている。

2. 日本社会の特異性

ところが日本社会は、このアジア的性格と西欧的民主主義の伝統の二つを持っているので、一筋縄では行かない。日本社会に西欧的性格を与えたのは、鎌倉時代以降の封建主義であるとされる(川勝平太ほか)。

アジアには中央集権の絶対王制は根付いても、国王と封建諸侯の契約関係で成り立つ「封建主義」は、日本以外では成立しなかった。世界で封建主義が成熟したのは日本とヨーロッパでのみ。これが日本の近代社会への脱皮を容易にしたとされる。

基本的に農民であった鎌倉武士は、自分が開拓した農地を自分のものとするために公家勢力と必死で戦った(「一所懸命」)。ある意味では一つの価値観を全員が共有できたことが鎌倉幕府の強さだった。

同時に武士は、武家の頭領である頼朝を支えるかわりに頼朝は公家に対して武士の利益を代弁するという契約関係が基本に存在した。これが日本が近代社会へ発展するベースとなった。(主君に対して絶対的に服従するといういわゆる「武士道」は、江戸時代になってから考案されたもので、本来のものではない)

日露戦争までの日本軍の強さの秘密としての「奇兵隊」の伝統。奇兵隊は、農民で編成されたが、職業武士の軍団よりはるかに強かった。モラル。加えて「西洋に追いつきたい、追い越したい」とする強い願望があった。「文明開化」の旗印のもとに「大儀ある戦い」。「錦の御幡」。

しかし、日本には、伝統的に強いリーダーを好まない国民性がある。人気のあったリーダーも少なくないが、民衆に愛されたリーダーの大部分は悲劇的な最後を遂げたリーダーであったことは皮肉。義経、大石内蔵助、大塩平八郎、平将門など。

でも数百年に一度すごいリーダーが出現するのも日本である。源頼朝、大久保利通などは、卓越したリーダーで、日本人離れしている。でも両名とも、大衆の人気はない。

3. 国民性、社会風土は変わるか

このようなアジア的な「遅れた」社会を変えてゆかねばならないとの議論がある。しかし社会とか国民性は、簡単には変わらない。「百年河清を待つ」の類で、われわれにはそのような時間はない。

「アポロ計画」の例だが、急いで物事をやるときは、もっぱら手持ちの信頼できるリソーシスを最大限に活用して、新たな冒険を最小限にとどめ、客観条件を与件として考え、計画を進行させなければならない。

D. 組織の形態とリーダーシップ

1. 会社組織の三つの基本パターン

荒井伸也氏によると、会社組織には三つの基本パターンがあるという。

a. 製造会社型

大部分の製造メーカーがこれだが、会社の目的がはっきりしていて(たとえば「鉄を作る会社」とか)、その目的を達成するための分業を遂行するための組織。

組織は作業工程と同じであり、それぞれの部署の仕事が連動しあって、最終製品が出来上がる。それぞれの部署でやることは異なるが、すべての努力は一つの目的に集約されていく組織である。チームワークが重要。

すぐれた組織運営力がリーダーシップの基本となる。

b. 自動車販売会社型

「トヨタカローラ販売」といった会社組織である。全部の組織でやることは全部同じ(たとえば「車のセールス」)。カルチャーも全く同じ。

業績の拡大は、組織を並列的に拡大することと一人一人の戦闘能力を改善することで達成される。

「精神訓話型、朝礼型、マニュアル型」のリーダーシップが有効である場合が多い。

c. マスコミ、総合シンクタンク型

組織の構成メンバーと活動の多様性に特徴がある。皆がてんでバラバラにいろんな方向に動いているように見える。それぞれの価値観(カルチャー)さえ全く違う場合がある。ある部署で有効な教訓が別の部署では全く役に立たないことがある。でも完全にバラバラでコングロマリットかといえばそうでもない。一つにまとまっている。

そういう組織でのリーダーシップは難しい。統治しにくい。(日立、東芝などの総合電機メーカーでもそういう性格がある。だから日立のリストラが進まない。)

組織の構成と目的、その成果と評価が一本化されて明確になっている組織の場合、リーダーシップは、具体的なかたちで発揮されやすい(野球の監督、軍隊、製造工場など)。でもこのような多様性のある組織で、リーダーシップが具体性を持ちすぎる場合、むしろ現場現場の創意工夫を殺してしまう可能性もあるのである。

このように企業の形態によって求められるリーダーシップは異なる。総合商社は上記三つの企業の混合体といえるが、どちらかというと三つ目の「マスコミ、シンクタンク型」である。総合商社についてもう少し考える。

4. 総合商社におけるリーダーの条件

A. まず総合商社とは

総合商社におけるリーダーの条件を考える場合、総合商社とはどのような会社なのか、どのような将来像を持っているのかについて明らかにする必要がある。それ次第で必要とされるリーダーシップの性格が異なってくるように思われるからである。

1. 卸売業の位置づけ(商業は永遠なり)

総合商社の「トレード機能」について、将来トレードにはあまり期待できないと悲観的な見方が多いが、はたしてそうだろうか。商業、卸売業とはきわめて歴史のある産業である。近年、「大量生産、大量販売」が脚光を浴び、製造業者による流通支配が続いたため、商業に対する言われない劣等感が芽生えたように思える。実際には「大量生産、大量販売」の概念(フォーディズム)自体が時代遅れになりつつある。中間業者(商業)の役割が見直されつつある。

ただ大切なことは、「既得権としての商権」と卸売業の機能とは区別して考えねばならない。「既得権化した商権」はネガティブな性格を持っており、規制緩和と同じ考えでの望まねばならない。しかしそれは卸売業自体を否定するものではない。日本の農業が既得権化して生産性の向上が叫ばれてはいるが、農業自体を否定するものではないことと同じ。

2. 経営コンサルタント的な性格

総合商社は、卸売業者として、静的な意味での卸売業の役割に加え、動的(ダイナミック)に、時代のニーズに沿って新たな取引関係を開発し実現させていく機能がある。その中には投資活動も含まれる。投資銀行的な性格がある。これはロマンに満ちた芸術的な創作活動でもある。

もともと商社マンとは、個人プレーヤーであったのはこのような事情が背景にある。一人一人の商社マンが、「知恵者」として、業界の「経営コンサルタント」として、問題意識を持ち、改善の方向を提案し、説得し、創意工夫を持って活躍しなければならない。

「梁山泊、食客三千人」の世界である。

現場の各部門の創造性が大事になる。

C. その組織でリーダーシップとは

1. 共通の尺度で経営のプロが

このように多文化、多様性が錯綜している総合型企業においては、トップが個々の現場で、具体的に直接指揮することは不可能である。

また文化を強調する宗教的なリーダーシップも、社員が最初からその宗教を前提に入社してきたのでない以上、難しい。

やはり多様な現場で、みんなが納得できるものといえば経理データに近いものとなる。そのような「客観的メルクマール」(共通語)を探し、その共通の尺度で会社の進むべき方向性、理想を掲げ、ビジョンを提示し、目標設定と評価を実務的にマネージメントしてゆくこと。いわゆるアメリカ型の「経営のプロ」による経営が望ましい。

1. 先見性

それと「先見性」が非常に重要である。つまりリーダーは先が読めなければならない。先が読めて始めて組織の目標を設定することが出来る。その目標を継続的に組織として達成できるように、組織にその仕組みを「ビルトイン」することが重要である。

2. 自動操縦装置

かつての民青の指導者は「幾らリーダーが大声で突撃と怒鳴っても、声を聴いて突撃するのは廻りの数人だけだ、だからには日頃から全員の組織化(オルグ化)しておくことが大切」といったが、それと同じである。欧州の重電・エンジニアリング会社のABB(アセア・ブラウン・ボベリ)ではリストラ思考が組織にビルトインされているという。

「鼓腹撃壌」。古代中国で、皇帝がお忍びで市井を視察するに、一人の老人が穀物を食べて満腹し、腹鼓を打って踊りながら俺にとって皇帝や政治なんて関係ない(帝力いずくんぞ我に及ばん)」というのを聞いて、皇帝はこれなら国はよく治まっていると満足したという故事がある。このように意識されないリーダーシップというのが、平和で多様な東洋社会では望ましいのかも知れない。

3. ビジョンを「言葉」で示すこと

同時に組織の美しい将来像(夢)を社員に与えることが大切である。客観的尺度が無味乾燥な数字、経理データー中心にならざるを得ない以上、構成員のモラル向上のために、「錦の御幡」としての「夢」と「大儀」と「補足説明」が必要なのである。

全員に、思想を明確なかたちで伝えるということは、すなわち「言葉」が大切になってくるということである。

以上

1997年12月1日月曜日

「21世紀型チームワーク」と企業理念



チームワークとは「複数の人間がともに行動し一定の成果を上げるための人間関係の在り方」と定義することが出来るが、外的環境に変化(技術革新)が起こると、「チームワーク」もかたちを変えざるをえないのではないか。今回はそれがテーマである。

集団行動を考える場合、昔から軍隊を例に取ることが多い。高坂正尭の「戦争の世紀」と題する講演を聴いたことがあるが、その中で軍隊における歩兵戦術の変化を語っている部分がきわめて印象的であった。「チームワーク」を考える際に参考になると思う。

すなわち、近世のヨーロッパの軍隊の特徴的な敵陣突破の戦法は、銃火の中でも隊列を決して乱さないように集団訓練を施された密集歩兵集団による中央突破であったという。映画の「戦争と平和」のシーンを思い出せばよい。基本的にこの戦法でもってヨーロッパの軍隊はアジア・アフリカの軍隊を圧倒し、世界中に植民地を広げることができた。しかし技術革新の結果、この戦法は通用しなくなってしまう。

つまり小銃の射程距離と連発性能の向上である。単発銃が連発銃となり、射程距離が100メートルから1000メートルを超えるようになると、在来戦法による歩兵集団の前進は耐え難いほどの犠牲を伴うことになった。とりわけ普仏戦争での歩兵の犠牲が甚だしかったため、両国はこの伝統的な戦法を廃止し、兵士は密集集団を組むのではなく、散開して遮蔽物を利用しながら前進するようにいったんは改める。

ところが非常に興味深いことだが、しばらくすると再び元に戻ってしまうのである。歩兵操典は再び改訂され兵士は昔どおり「肘と肘とを触れ合わせ、ドラムとラッパの響きとともに前進する」ことになる。なぜ、この様な不合理なことになったのか。

「人間はなぜ戦うのか」という基本的な問題にも関連するが、散開する隊形では兵士は全体の状況を把握できず、孤立したことで士気が低下し、戦列からの離脱者が続出したのである。結局、密集隊形を組む以外に全員を一つにまとめることは出来ないと判断され、この「戦争と平和」スタイルの攻撃方法は変わることなく、第一次世界大戦では人類史上最も悲惨と言われる兵士の犠牲を生じさせることになった。そんな話であった。

考えるに技術革新(小銃の進化)にともない新しい戦闘方法(散開方式)は工夫されたものの、それに応じた適切な「チームワーク」手法の開発が追いつかず適応できなかったことによる悲劇と整理できる。

21世紀をひかえ、日本企業は組織をより柔軟でソフトなものに変える必要性が叫ばれている。問題は、今も昔も密集隊形から分散隊形に移行するとモラルの問題が生ずるが、それをどう解決するかということだろう。

携帯できる小型の通信手段が開発され、現代の歩兵は小規模な集団で散らばって行動出来るようになっている。未来型の企業組織においても、構成員はそれぞればらばらに行動するものの、全員による情報の共有が可能にする情報化推進が重要になってくるのである。

同時に「個」が尊重されながらも企業の一体感(総合力)を維持できることも大事になる。共通の価値観として「企業理念」の確認が大切になってくると思う。

橋本尚幸

1997年10月1日水曜日

迷路に入った日本経済と「景気対策」

「だからいったじゃないの」とはあまり男らしい口吻ではない。しかし昨今の低迷する国内景気を見てこのような感想を心に抱く人も多いのではないか。多くの反対を押し切り今春から実施された消費税率の引き上げなどのデフレ政策は、案の定、国内景気を大きく減速させてしまった。個人消費は低迷し、在庫は積み上がり、生産活動は萎縮している。輸出だけは好調だが、東南アジアの景気減速と対米黒字の急増で先行きは不透明だ。期待成長率の低下による設備投資計画の下方修正も始まっている。産業界を見てももよい業界はほとんどない。特に地方と中小企業で景況感が悪化している。

景気低迷の直接のきっかけは消費税の引き上げによる個人消費の予想以上の下ぶれにあった。通例であれば消費税率が上がっても消費者は生活水準を維持するために貯蓄を取り潰す行動に出るため大きな需要の落ち込みは発生しないのだが今回は違った。夏口を過ぎても消費者は慎重な態度を崩していない。

この消費者行動の慎重化という傾向はどうも基調的なものらしい。バブル崩壊後、家計の消費性向は一貫して低下を続けている。背景にあるのは将来生活に対する不安だろう。金融部門のバブル後遺症は予想以上に根深く、産業活動にも悪影響を与えている。雇用不安が広がり、人口高齢化で年金システムの破綻すら危惧されだした。そういう状況のなかで家計は支出を抑え貯蓄に励む以外に有効な自己防衛手段を持たないのである。生活水準を落とすことは簡単なことではないが、幸いにグローバル化でより安い代替商品が入手できるようになった。倹約も目的意識を持てばまた楽しいのである。しかしこれでは景気はなかなか良くならない。日本経済はいまや失速寸前である。

どうしたら景気を浮上させられるかであるが、なかなか有効な対策が見えてこない。金利はぎりぎりまで下がっており、今さら金融緩和でもない。やはり財政の出番であると財政再建を先送りにしてでも財政を出動させよとの議論が出ているが、やはりこれはまずいだろう。国債残高の累積は、納税者から国債保有者への巨大な所得移転メカニズムを国家の保証のもとに制度化することに他ならないからである。減税は望ましいが景気への乗数効果は小さい。規制緩和や土地の流動化政策などは必要な政策ではあるが、どれだけ景気浮揚の効果を持つか疑問である。数多くの景気対策が議論されているが、打つ手は限られており、いずれも景気を浮揚させる機関車とはなりそうにない。

この様な場合、むしろやるべきことは、内容に乏しい「景気対策」の長いリストを作ることではなく、政府が行財政改革を断固として推進するとの決意を具体的な行動で示し、国民に将来に対するコンフィデンスを与えることだろう。不況の時にしかできないこともある。歳入減少を奇貨としてとらえ「小さい政府」の実現に邁進すべきである。

このままでは民間企業は現在の鬱陶しい低成長が来世紀にかけて続くことを前提に個別の対応を考えざるをえない。そうしたら不況は本当に長期化する。

橋本尚幸

1997年9月1日月曜日

絶好調の米国景気の脆弱な基盤

絶好調といわれてきた米国景気だが、さすがに最近はチラホラ懸念材料も見受けられるようになった。なかでも米国の株価水準については、バブルである疑いが強くなってきている。イギリスのエコノミスト誌が、この危険性を早くから指摘している。

つまり、株価は基本的に金利と期待収益率から決まるものだが、現在アメリカの長期金利や株式の債券に対するリスクプレミアムを考えれば、株式を保有することによる期待利益率は年率9%はなければならない。ところが現実には配当実績はそれ程大きくなく、その差はキャピタルゲインで埋めねばならない。そのためには実質企業収益すなわち生産性は年に4~5%は伸び続けねばならない計算になる。米国の生産性の上昇率は過去2・5%程度にしか過ぎないし、最近はさらに低下している。よって現在の株価水準は理論的にはどうにも説明できないというものである。

もちろん生産性の上昇率が低い場合でも、労働分配率を低下させることができれば、企業の取り分を相対的に大きくすることで、生産性の伸び以上に企業収益を伸ばすことが可能になる。現実にはまさしくこの現象が進行しているわけで、企業収益が上昇するなかで米国労働者の実質賃金は過去一貫して低下してきたのである。

しかし、常識で考えてもわかるように、労働分配率を永久に低下させ続けることはできない。いずれは限界に到達する。その時には、いよいよ株価水準の調整が起こる。

今般のUPSのパート労働者のストライキはアメリカ内外で識者の高い関心を集めた。星条旗をあしらったプラカードを持って訴えるパート労働者には国民的な共感と支援が集まったといわれる。現在の米国の好景気が、米国の比較的弱い立場の労働者の実質賃金の低下という犠牲の上になり立っていることへの、米国民のある種の後ろめたさのあらわれだったのかも知れない。

米国経済はいま、戦後で三番目の長い景気拡大を続けている。このロングラン景気の直接的な要因は、表面的な物価の安定にある。

戦後の米国景気循環を見ると、ほとんどの場合、失業率の低下、それに伴う賃金と物価の上昇、それに対処するための金融引き締めという過程を経て、景気は終焉を迎えている。今回は失業率の低下にもかかわらず物価上昇の気配はない。これがアメリカ経済は構造変化して今や「新しい時代」を迎えたという議論につながってきている。物価統計自体が経済実態を反映していないとの議論すらまかり通っている。しかし、いずれも多分に主観的な議論との感がいなめない。この主観がある日突然変わればどうなるのか。単位労働コストが上昇に転じていることをどう見ればよいのか。在庫の急増をどう見るか。株価の下落による逆資産効果はどうか。なかなか手放しに安心はできないと思う。

この大型景気は、ちょうどよい温度のスープにありついた童話の主人公の少女の名前から「ゴルディロックス経済」と呼ばれている。でもゴルディロックスとは、同時に、戦争直後、米国の援助物資とともに日本に渡来し、瞬く間に日本全土にはびこり、やがて急速に沈静化した帰化植物「セイタカアワダチソウ」の英名でもある。米国景気のソフトランディングを期待したい。

(橋本 尚幸)

1997年8月1日金曜日

『漆の実のみのる国』と現代日本

藤沢周平の遺作『漆の実のみのる国』を読んだ。江戸時代の米沢藩の財政構造改革を描いたものだが、現代日本にも通じるところが多く、いろいろ考えさせられた。

豊臣にくみして徳川と対立した上杉家は、徳川の時代となって大きく減封されてしまう。家臣数は昔のままであり、歳出は減らないので、当然藩の財政は苦しくなる。借金が累積してゆく。江戸中期に登場した若き藩主の治憲(鷹山)は身を挺して財政改革に取り組むが、なかなかうまく行かない。

財政改革には、今も昔も歳出減と歳入増しかない。一汁一菜の強制など徹底した倹約が行われる。一方、歳入増を図るため、漆の植樹計画がたてられるが、成果が出るまでになかなか時間がかかる。そのうちに人心が倦む。既得権が立ちはだかる。さまざまなサボタージュに遭遇し、改革はなかなか進まない。債務はどんどんかさみ、金利を支払うためにさらに借金をする事態が続く。このような話だが、まるで現在われわれが直面する問題そのものであり、読後感は何とも重たい。

一番の問題は、非生産階級である武士階級の人口が生産階級である農民の人口に比して多すぎることにあった。農民二人強で武士一人を養う人口構造だったのである。それが財政赤字と公的債務の増大をもたらし、経済構造を大きくゆがめてゆく。これは日本の近未来の姿でもある。高齢化が急速に進むなか、日本の非生産人口比率は当時の米沢藩の比率に近づきつつある。

また政府主導の産業政策の問題点も浮き彫りにされる。稲作以外の国内産業を興すために、換金作物である漆の植樹プロジェクトが、政府主導で推し進められる。生産力の向上が一番大切との認識は正しい。しかし政府の計画はなかなか期待したほどの効果をあげない。予想もしなかった品質のよい競合品が出現し、米沢の漆は大幅な値引きを余儀なくされてしまう。ビジネスにおいては価格決定は、あくまでも市場でなされる。それを忘れていた。まるで現代日本の特殊法人や公益事業のようだ。

特に印象的だったのは、改革に立ちはだかる既得権者の群だ。「一汁一菜」を上下の差別なく平等に強制されては身分制度がもたない。身分制なくして封建制度自体が機能しないと主張する。生活に困窮した足軽が、顔も隠さずに公道で運搬労働に従事するのだが、それも問題視される。こんな上杉家の「大国意識」が改革の妨げとなる。現在でも、このような既得権者による組織防衛の運動が、改革を進める上で一番の障害となっている。

しかし当時の藩のコーポレートガバナンス構造はとても興味深かった。藩の経営に対し、藩の外部、内部からのチェックが有効に機能していたことには驚かされる。サボタージュする家老達は、藩主がまとめて更迭してしまう。反対に無能な藩主は、家老達が強引に隠居させてしまうこともある。両者の間に見事な緊張関係がある。現代でも、明治以前からの長い伝統を持つ企業が少なからず残っている。こういった企業統治の伝統は大切にしたいものだ。

藤沢周平はこの小説を書きながら、現代日本のことを考えていたのではないかと思う。

橋本尚幸

1997年7月11日金曜日

住友における従業員の位置づけについて

1997.7.11

「住友」の事業において、従業員というものがどのように位置付けられていたのか、住友家、経営者との関係はどういうものであったか、いわば住友のコーポレートガバナンスはどうであったかということについて考えます。

一言でいえば、住友家、経営者、従業員の三者は、「家(イエ)」的な運命共同体意識で結ばれていたことが大きな特徴であったように思います。それが同じく住友の特徴でもあった「均等主義」や「平等主義」に結びついているようであります。善し悪しはともかく、このような運命共同体的な「家」的結束が住友の強みとなり、明治維新の直後と第二次大戦敗戦後という過去二回の大きな歴史上の変革期(構造転換期)を乗り切ってきました。

株主、経営者、従業員などのステークホルダーズ同士の利害がうまく調整されて、事業の運営がなされてきたのです。「家(イエ)」的関係といえばとても封建的ですが、ステークホルダーズ間の共同体的関係といえば、優れて今日的です。

橋本内閣のかかげる「六つの改革」は、わが国にとって、明治維新、第二次世界大戦での敗戦に続く三つ目の大変革であるといわれています。過去の二回の大変化を住友が如何に乗り越えてきたのか、コーポレートガバナンス(企業統治)の観点から、参考になるところを抜き出してみました。

1 住友の運命共同体的性格

1) 明治以前の封建的「家」制度

住友の伝統を知る上で一番大切な資料は住友家の家法ですが、この家法を読むと、明治時代に制定された部分であっても、江戸時代からの封建的性格を根強く残していたことがわかります。

まず雇用関係ですが、これは雇用期間中のみならず、退職してから以後も続く終身的な関係となっています。退職者は「末家」と位置づけられ、本家から家督金を付与されました(末家制度)。実際の運用面では、この家督金は住友家に預けられ末家には毎年利子が与えられたので、従業員に対する終身年金とも見なすこともできます。

さらに、この「家」的な雇用関係は、終身関係という時間的な広がりに加え主家、従業員の家族にまで及ぶことで、平面的にも広がりを見せていました。明治25年に制定された「出付婦人内規」によれば、雇人(従業員)、末家(退職OB)の配偶者も本家の奥様と一種の主従関係を結ぶことが規定されています。家族ぐるみの雇用関係であります。(商社の海外派遣員の家族同士で、いまだにこれに近い家的関係が散見されることもありますが、時代の最先端を行く商社の海外駐在員家族同士の付き合いのなかに「家」制度の片鱗が残っていることは興味深いことです)

こうした「家」的な人間関係は、一方で良い面もあり、従業員に対する福祉にもつながっています。この傾向は住友では特に強かったようです。ほかの商家では手代が病気になったらお払い箱とされたようですが、住友では決してそのようなことはせず、家法にも「手代が病気になったときには、よく看病すること、病人を粗相に扱うことは主人に不忠を働いたものと見なす」とわざわざ明記されていたことは注目されます。(総手代勤方心得)

一方で、能力主義もありました。「子飼であっても無能なものには重い役を与えない」との規定も見えます(総手代勤方心得)。この能力主義は、一見、封建制度とは相容れないようですが、日本の封建制度のひとつの特徴でもありました。すなわち「お家」の危機にあたっては、人事は縁故・血統よりも能力を重視し、能力のあるものに経営をまかせることで「お家」の存続を図るという考え方であります。(日本の封建制度のもとでは、養子縁組みが頻繁に行われましたが、それは能力重視とも考えられます。諸外国では養子による家督相続は珍しいとのことです)

また本店及び別子銅山の雇員、雇い人に罰金法を制定したことも注目されます(明治6年)。借金を返済しない者などは、住友家が自ら裁きうるとしたものです。日本という国家のなかに住友という「ミニ国家」を作っているともいえ、これも日本的な「家」制度の特徴と言えます。

注目したいのは、従業員のランクによる給与格差の小ささです。別子銅山においては、ホワイトカラーは、手代と呼ばれ、手代の下に子供、小者、下男と呼ばれる雇い人がありました。明治2年の給与表を見ると、手代の最高位の老分の月給が30両、一番下の子供、下男が2両となっています。最高位と最低位の格差倍率はちょうど15倍でした(須賀俊夫『住友の経営史的研究』)。これは欧米などの社会と比べると非常に小さい格差であると言えます。現在、当社の22歳大卒新人事務職の年収330万円であり、その15倍の相当金額は約5000万円となります。社長のお給料までは存じませんが、明治2年当時の給与構造とそれ程大きな違いはないのではないでしょうか。

2) 明治以降も根強く残った「家」的性格「均等主義」

この平等主義は長く続きます。歌人で住友マンであった川田順の『住友回想記』に次のような文章があります。

<社員の給与の決め方には三つの主義がある。功利主義、均等主義、折衷主義。三井物産は功利主義の雄なるもの。住友は均等主義の代表的なものであった。勤務せる店部の別によって給与が違うことも、まずなかったといっていい。また、儲けた店部でも損した店部でも、おしならして賞与を出した。要するに、住友人は、各自の勤務せる会社のいかんに関わらず、居住せる土地の都鄙に関わらず、住友のために同じように苦労しているのだから、同じように報酬すべきだ、という道徳的な観念が根強く一貫していた。>

川田順によると、当時の住友の理事の給料水準は、三井、三菱と比べると格段に安かったようで、当時の大阪税務署長から「さすが住友さん、川田(理事)さんの給料は三井の支店長より高いですな」といわれたが、その税務署長は川田順の「年収」を「月給」と勘違いしていた、という笑い話のような実話があったとのことです(『住友回想記』)。平等といっても水準の下の方に合わせる平等であったようです。

同じく住友に勤めていた源氏鶏太は、ユーモア・サラリーマン小説や名著といわれる同氏の『新サラリーマン読本』を書いていますが、これらの文章に当時の住友の「ほのぼのとした」企業文化がうかがえます。

2 時代の大変動と住友の対応

さてこのような伝統と企業文化を持つ住友が、過去の時代の大変革期にどのような対応をしてきたのかを見てみたいと思います。

1) 明治維新と住友

� 広瀬別子支配人改革

住友にとっての最大の経営危機は、明治維新の時に訪れました。開国に伴い、住友は欧米とのコスト競争にさらされ、そのために、組織、技術の近代化の必要性に迫られます。当時の総理事の広瀬宰平は、ドラスティックな改革を巨額の資金を使い、強力に推し進めました。

まず、御屋敷掛かりの廃止、買い物方、台所方の廃止、日記及び旧習の諸帳面の廃止、職人の食事給付を廃止し各自手弁当を持参させる等、江戸時代からの旧い慣習がどんどん廃止されました。

さらに、フランス人技師の採用、西洋機械の導入など、近代技術への投資が積極的に為されました。

合わせて、給与の減額(老分2割、支配1割半など)、不良資産の処分などのリストラ策も実施されたのです。

興味深いのは、当時の経営陣(広瀬宰平)は、銅山事業からの撤退を(住友家の利益を考えればこれが一番合理的だったらしいのですが)一切考慮の対象としなかったことであります。事業の継続は、本家(出資者)の利益より優先するものと信じられていたのです。

� 宗教と企業経営

しかしこのような近代化政策は、別子の伝統的な村共同体の生活様式の崩壊をもたらしました。

葛藤し模索・反抗する民衆が、新しい生活様式に移行することを助けるため、宗教家が積極的に活用されたといわれています。具体的には瑞応寺の住職などの禅僧による山民の教化政策です。経営に宗教的な色彩を導入するのは住友の伝統的なやり方といわれています。

� 広瀬宰平の引退

このように別子銅山の近代化とリストラに成功し、大きな功績を残した広瀬ですが、その引き際は決して立派なものではなかったといわれています。四方からの「広瀬降ろし」の圧力に屈したかたちで、折からの公害問題をはじめとする別子の危機を、そのまま甥の伊庭貞剛に託して住友を去ります。

広瀬追放の本当の原因はよくわかっていません。直接的には広瀬に対する内部告発(元理事が新聞発表した公開状など)がきっかけになっています。権力にあまりに長くとどまったためか、いろいろ公私混同が目立ったことは事実のようです。本当の理由はよくわかっていません。しかし、いったん明治維新の危機を脱して成長の軌道に乗った住友にとっては、広瀬のような真性の革新的企業者よりも調整タイプの経営者の方がより安全であったのだろうとの観測もあります。

伊庭貞剛は極端な精神主義を避けて、物心両面の調和を重視した人でした。彼は部下の書類に目を通さず判を押すことで有名でした。「信頼こそが人を育てる」が口癖の、きわめて日本的、住友伝統的な人物でありました。住友は再び伝統の調和主義に復帰することになります。

2) 第二次世界大戦が終わり

� 人材の離散を防ぐ精神「財閥解体にあたり五原則」

敗戦を迎え、住友は創立以来、数百年のうちで二度目の大きな転機を迎えることになります。財閥解体です。拡張しきった各方面の事業の収拾を図るとともに、人材の離散を防ぎ、それぞれに出来るかぎり仕事を与えること。そのために新しい事業を企画すること、これが大きな命題となりました。

具体的に方針が策定されますが、その方針の第一に「海外引揚者とその家族を援護すること」が挙げられました。次に、債権者に誠実に対処すること、住友の全事業を出来るだけ滅ぼさずに転換すること、将来、民族と国家の繁栄につながるように事業を運営することと続き、最後に「極力、累を住友家に及ばさないこと」が方針とされました。

ここでも従業員の職場確保が、本家(出資者)の利益に優先されていることがわかります。明治維新直後の広瀬宰平の考え方といい、戦後の処理方針といい、住友の経営理念は、明らかに「ステークホルダー理論」そのものであったと言えると思います。

� 商社の設立

その過程で、商社の設立が決断されました。遡ることは大正9年に、時の鈴木馬左也総理事が、人材と資金の不足を理由に、厳しく商事の禁止を申し渡したことは、まだ記憶に新しかったことでした。しかし当時、国土は焦土と化し、従業員の多数が生活の道を失おうとしているという未曾有の非常事態に直面し、住友は商事部門の開設を決断します(津田久『私の住友昭和史』)。

住友の従業員を重視するという伝統的な「家」的文化風土を考えますと、この決断は、家訓に違反するどころか、むしろ本当の意味での「住友」的決断であったと言えると思います。

3 営業の要旨二箇条をどう読むか

住友の「営業の要旨」のなかに、「従業員」についての記述がないことが指摘されることがあります。しかし、今まで述べてきたような住友の伝統を考えれば、次のような文章の解釈が可能であり、むしろそれが順当とあると思われます。
すなわち、第一条に「我が住友の営業は信用を重んじ確実を旨とし、以てその強固隆盛を期すべし」とあります。ここにある「その」とは、文章的には「住友」をさします。しかしその「住友」とは、決して「住友家」のみをさすものではなく、運命共同体である「家」としての住友、ステークホルダーズ全体をさすと考えるべきではないでしょうか。

現在の日本では、企業は誰のものか、企業のコーポレート・ガバナンスは如何にあるべきか、この問題について多くの議論がなされています。住友の経営理念は、まことに古くさく封建主義的な性格は濃厚に残してはいますが、企業のステーク・ホルダーは、資本家(住友家)であり、経営者(理事)であり、従業員(手代、雇人)である、三者の関係の三位一体であるとの原則を、繰り返し主張している点において、優れて今日的なものと考えます。株主の利益が全てとは決して考えられてきませんでした。同時に、従業員や経営者の利益だけを考え、株主の利益が無視されるということもありませんでした。この三者の力の均衡をうまくマネージするスキームが、それこそ住友の経営理念であると思います。

以上
 

1997年7月1日火曜日

コーポレートガバナンスと企業文化

コーポレートガバナンス(企業統治)に関する議論が盛り上がりを見せている。要するに企業は誰のものか、だれが企業をコントロールするのかという問題である。これがなかなかむつかしい。

日本には、企業の中長期的な利益や従業員との関係を、短期的な業績(配当)よりも重視する独特の企業統治の伝統がある。かつてはそれが日本企業の強みともいわれてきた。しかし経済のグローバル化が進行するなか、企業統治のスタイルも英米型へ変化させ、もっと株主が企業をコントロールしやすくせねばならないと主張されるようになった。

資金不足から一転し資金余剰の時代となり、伝統的な銀行システムの企業コントロールが、機能しなくなっていることも背景にある。

しかし一方、株主だけではなく、従業員、顧客、債権者などの多くの利害関係者(ステークホルダー)の意向を尊重するべきだとの考えもまだまだ根強い。経営のチェックのために企業の中核である中間管理職を経営に参加させることを考えるべきだとする意見すらある。

このように企業統治をめぐっては多くの考え方があり、なかなかコンセンサスは得られない。英米型がよいとか、ドイツ型はどうだという議論が多いが、なにせ多様化の時代である。一般論ではなかなか割り切れないのである。

日本では株主の利益が無視されているという。しかし日本株主総会は米国の総会より強い権限を持っていることはあまり知られていない。日本の取締役会は経営トップの意のままになっていると非難される。しかし日本の取締役会が社長を罷免した例も数多く挙げることができる。社外重役のメリットが強調される。しかし米国では社外重役システムが重役の法外な高給を生みだしたと批判されている。従業員の参加が制 度化され「進歩的」とされるドイツでは、逆にこの制度の評判はきわめて悪く、大多数の企業は従業員を経営に参加させる義務のない有限会社形態を選択する。

結局は隣の庭は常に美しく見えるということかも知れない。企業統治の構造はそれぞれの国で異なるものの、なかなか完全なシステムと言えるものはない。

重要な点は、企業統治とは本質的にはミクロ問題であり、個別の企業の伝統・文化に大きく左右されることである。

例えば、住友においては、出資者、経営者、従業員などのステークホルダー間の家(イエ)的な関係が、近代・現代に至るまで濃厚に残っており、これが明治の初期や第二次大戦後の危機を乗り切るうえで大きな役割を果たしたことが知られている。このような伝統は大切にすべきだろう。一方で、同じ日本でも全く英米的な企業統治スタイルが機能している会社もある。

企業の伝統、文化は多様であり、企業統治のやり方も多様であってよい。大切なことは、個々の企業が、借り物でない自前の企業統治のシステムを、常に工夫し、決意を持って機能させることだ。

(橋本 尚幸)

1997年6月2日月曜日

フランス総選挙と「社会的欧州]

昨年の秋に来日したシラク大統領の経団連におけるスピーチは実に感動的であった。フランスは、過去から続いてきた悪い習慣から脱するべく経済改革の努力を続けている。短期的には確かに痛みを伴うが、国家の百年の計を考えればどうしても今やらなくてはならないと切々と訴えた。講演後、経団連の樋口副会長から「大統領の情熱はよくわかった。でもフランス国民をどうやって説得されるのか」との質問があり、シラク大統領からは「正しいことは正しいことであり、国民が解ってくれるまで説得を繰り返すしかない」との趣旨で回答があった。

しかしフランス国民は解ってはくれなかったようだ。選挙民はシラク大統領が進める市場原理の導入を中心とする急進的な経済改革路線に明確な「ノン」を表明したのである。

欧州では伝統的に経済のグローバル化に伴う痛みの処理の仕方が、米国や日本と異なる。米国ではグローバル化の影の部分(痛み)は、国内の実質賃金の低下という形で勤労者が負担する。失業率はそれほど上昇しない。企業収益は改善する。一方、日本では、グローバル化が進行しても、失業率、実質賃金ともに安定している。痛みは企業収益の低下というかたちで企業が一手に引き受ける。そのかわり景気はなかなかよくならない。欧州では実質賃金は低下しないのは日本と同じだが失業率が急上昇する。グローバル化の痛みは失業者と失業保険(財政)が負担することになる。

変革期には米国方式が優れたやり方だと信じられている。しかし日本とか欧州のような「社会的」市場経済においては勤労者に負担をかける米国方式では、これまでの競争力の源泉であった社会構造そのものを壊してしまう危険性がある。少なくとも痛みを吸収するだけの拡大的な経済政策が必要となる。

今回のシラクの敗北は、決してワシントンポスト紙が書くようにフランス国民の「蒙昧さ」のせいではない。過去の選挙においてフランスの選挙民は驚くほど一貫して「雇用」と「成長」を支持してきた。シラクが負けたのは、むしろこのフランス国民の一貫性を軽視した英米型経済政策への反発のせいだ。

フランスばかりでなく欧州においては社会民主主義政党の政権奪取が続いている。経済グローバル化の光の部分のみならず、影の部分との対比が議論の焦点になりつつある。

そもそも、欧州の通貨統合を成功させるためには、通貨を強く維持しなければならない、そのためには緊縮財政が避けがたい、苦しいけれども我慢しようとの議論は、昭和の初期の日本で金本位制への復帰をめぐり展開された議論とよく似ている。時の大蔵大臣、井上準之助は、異常な使命感と情熱を持って、実勢レートを上回る旧平価での金本位制への復帰を主張し、円高誘導のためのデフレ政策の必要性を全国で説いてまわった。演説を聴いて感動したひとりのお婆さんが井上に向かってお賽銭を投げたとの話も残っている。しかし井上緊縮財政の結果は日本経済を未曾有の大不況に陥れるだけの結果となった。

シラク大統領が井上準之助だとは言わない。しかし文化風土や伝統を軽視した教条主義的な政策はなかなか成功しないのである。

(橋本 尚幸)

1997年5月1日木曜日

ゼロサム時代に求められる情報調査機能

昨年の10月に当部の陣容が大きく変わり、部の名称も「情報調査部」と改められてから、はやくも7カ月が経過した。新しい仕事の内容もようやく固まりつつある。この機会に、当部の仕事とその役割について、企業における本社機能、そのなかでの情報の意味にも敷衍しながら、考えるところを述べて見たい。

 当部の役割は、社則の規定では「内外の政治・社会・経済・産業等に関する情報収集と分析、基本的調査」となっているが、この「基本的」という言葉がみそである。ビジネス遂行上、日常的に収集される情報とは別の観点からの、基本的で細部にとらわれない骨太の情報分析が、われわれに期待されていると理解されるからである。

 企業は、実際的で具体的な当事者の情報と、ややマクロ的で第三者的な立場からの情報の二つの情報チャンネルをもつことで、はじめてバランスのとれた「複眼」的な情勢の判断が出来ることになる。

 このようなダブル・チャンネルによる情報収集と分析システムは民間会社に限ったものではない。外務省においては、アジア局、北米局などの地域主管局による情報収集に並行し、全世界を横断的にカバーする国際情報局での情報分析も同じように重視されている。なぜならば地域を主管する局は、自分がその地域での政策を立案する当時者であることから、どうしてもいままでの政策により情勢判断が左右され勝ちである。利害関係のない中立的な第三者にはこのようなバイアスはない。両者の判断は必ずしも常に一致を見ることはないが、議論を通じて、全体としては間違いのない判断が可能になるのである。

 ちなみにこのやり方は、イギリスの外務省の伝統に倣ったもののようだ。イギリスでは歴史的に外交官の正式ルート経由の情報に加えて情報専門機関の独自情報が重視される。これは007の小説などでも有名だが、その起源はずっと古く17世紀に遡る。エリザベス一世統治下のイギリス外交は、複数のチャンネルからなる情報網とその情報の徹底的な分析に大きな特徴があった。このシステムのおかげでスペインの無敵艦隊を打ち破り、大英帝国の全盛時代を築き上げていくことが出来たといわれている(中西輝政『大英帝国衰亡史』)。

 日本経済もいま、右肩上がりの成長の時代は終わりを告げ、ゼロサムの時代に入ったといわれる。そのなかでの総花的な総合主義は、平均点すなわち業績のゼロ成長しかもたらさない。グローバル・リスクも一層に高まるなか、方向性を提示し、経営資源のより合理的配分を示唆する機能、すなわち本社機能が今まで以上に望まれている。

 方向性を提示するためには、地道に情報を集め、分析し、問題の「解」を考えなければならない。単なる評論家にとどまることなく、総合商社というダイナミックな企業組織の一機能として、情報を収集し分析し、「解」を考える材料を用意することは当部の重要な役割であると考える。

 「解」とは「ビジョン」でもある。企業レベルにとどまらず産業レベルでこれを考えれば、業界のなかでの総合商社のリーダーシップの在り方にもつながってくるように思う。

(橋本 尚幸) 

1997年4月2日水曜日

市場経済システムは万能か?

クアンタム・ファンドで有名な、大胆にして緻密な投機戦略家のジョージ・ソロスが、アトランティック・マンスリー誌に『資本主義の脅威』と題する論文を発表し話題を呼んでいる。行きすぎた市場経済システムは伝統的な社会価値を破壊する可能性がある、「よい社会」とは単純な市場原理だけでは実現しないと、ベルグソン、ハイエクなども引用して繰り広げる彼の議論は、現代の市場メカニズムに精通し、そこから巨万の富を稼ぎ出すソロスがいうだけに意外性に富む。

ソロスのこの論文に限らず、昨今、いままで万能と見られてきた自由主義・市場経済を通じる問題解決の方法は果たして最善のものなのかとの疑問があちこちで見られるようになった。市場経済システムの一番の問題点はどうしても一時的には「行きすぎ」とならざるをえず、必ず後でその反動が来ることである。日本経済も全員が市場の亡者となったバブル時代の熱狂は今や遠くに去り、長きに渡る低迷を続けている。

この上なく力強い成長を続けたかに見えるアジアのいくつかの国でもバブルの終焉が現実のものとなりつつある。市場経済の歴史とはバブルの形成とその反動の繰り返しの歴史に他ならない。しかし何故バブルが発生するのか、どうして市場経済システムは懲りずに行きすぎを繰り返すのか、納得の行く説明はなかなかないのである。

その意味で、今般イングランド銀行が発表した金融機関のディーラーに対するボーナス制度に関する報告書は、一見してきわめて地味で技術的な問題を取り扱ったように見えるものの、市場経済メカニズムのロコモーティブ・パワーであるインセンティブ制度そのものに市場の「行きすぎ」をもたらすメカニズムが組み込まれていることを明らかにした点で興味深い。市場経済においてバブルはなぜ不可避なのかについて、一つのヒントを提供してくれるように思う。

報告書によればトレーダーへの報酬インセンティブがプラスとマイナスで非対称になっているのが問題という。トレーダーのボーナスがきわめて高額になっていることは有名だが、一方で失敗した場合でも、向こう傷を問われない場合が多い。最悪、首になるだけだが、首になっても同業他社から幾らでも拾ってもらえるので生活には困らない、つまりポジティブ・インセンティブとネガティブ・インセンティブが(信賞必罰が)非対称的になっている結果、全体としては常にリスクを増大させても儲ける可能性のある方向にインセンティブが働くというのだ。

すぐに気がつくが、これは金融取引におけるボーナスに限ったものではなく、セーフティーネットが整備された現代社会においては、あらゆる事業分野において観察できるように思う。それが常に経済の行き過ぎと反動をもたらしている可能性がある。

日本型資本主義が行き詰まった今、アメリカ型資本主義が今や唯一正しいものであると喧伝されている。確かによい点は多々あることは否定しないがアメリカ式資本主義にも問題はある。ちなみに今回のイングランド銀行が提言している新しいインセンティブ・システムとは、今まで「日本型」と呼ばれた企業システムにむしろよく似ているのである。

(橋本 尚幸)

1997年3月3日月曜日

「眠り口銭」について考える

「総合商社は斜陽であるか」と題する論文が論議をよんだのは60年代のはじめであった。これ自体は既に歴史上の出来事であり、いまや記憶している人も少なくなったが、商社マンどうしで話していて、いまだにこの種の議論に遭遇することがあり驚かされる。日本経済の先行き不透明感が「総合商社も果たしてこのままでいいのか」という危機意識につながっているのだろう。

とりわけ問題視されるのは「眠り口銭」取引というもので、この言葉はほとんど禁句に近い。商社マンは「眠り口銭」などとんでもない、商社はこんな機能を提供しているのだとむきになるのが普通である。でも列挙される「商社機能」を具体的にブレークダウンして、その対価を専門会社に分離発注したとしてコストを積み上げてゆくと往々にして矛盾が出てくる。最後はまあまあで終わるがこれは問題である。

誤解のないようにいっておくが商社機能の強化が望まれると常識論をいっているのではない。ましてや商社無用論を展開しているのでもない。商社マンが自分が担当する取引について、商社の介在の正当性をきっちりと説明できない場合があることを問題視しているのである。新入社員も入ってくる。若手の商社マンももっと理論武装をする必要がある。

考えるに、商社の受取口銭を現時点で商社が提供しているサービスの量でのみ説明しようとするからいろいろ無理が生じるように思う。商社の口銭は現在と過去、さらに“未来への期待”というの三つの時点にまたがる商社サービスの対価であるが、とりわけ過去のサービスに対する報酬という性格が強いからである。

商社の最も基本的な役割に取引関係の構築がある。そのため商社は多大の先行投資もし苦労に苦労を重ねて数多くの取引関係を作り上げてきた。苦労のすえ考えついたという点でそれは知的所有権にも似ている。このような参加者全員にメリットを与える取引においては、関係者が享受しているメリットの一部をこの取引関係を創案して実現させた商社に口銭として支払うことになる。取引関係の普請代が分割延べ払いになっているとも言え、商流のなかの商社サービスだけでこれを説明しようとすると「眠り口銭」のように見えるのである。

人が作り出すすべての商品の例にもれず、商社が工夫し、提案し、ようやく実現させた取引関係にもライフサイクルがある。はじめのうちは関係者すべてに多大のメリットをもたらしたものだが、徐々に成熟し古くなり陳腐化していく。

そこで商社マンがやらねばならないことは、陳腐化して旧式になった取引関係にむやみにしがみつき、抽象的な商社機能をむきになって主張するのではなく、もっと未来を指向し、有利で新しい取引関係を工夫し、関係者に提案し、実現させ、取引関係に新陳代謝を図ることではないか。

グローバル化のなかで、産業構造は大きく変化している。世界中の企業にとって、新しい時代に適応するため、アウトソーシング化も含めた革新的な取引関係の構築が課題となっている。取引関係の創造者である商社への期待はますます高まっている。

1997年2月3日月曜日

円安で一息ついた国内景気

もうずいぶん昔のことだが、あるイギリス人から、国際経済を司る「神様」の話を聞いたことがある。
貿易ビジネスに勝敗はつきものだが、特定の国がいつも勝ってばかりいたり、また逆に負けてばかりいると、ゲームは続けられない。神様はいつも上でみていて、調子に乗って勝ち続けるものがおれば、出てきてお懲らしめになるし、負けが込んでいて苦しんでいるものがいると、来て助けてくださる。だから新興工業国の台頭があっても国際社会の序列は簡単には変わらない。その神様こそが為替レートなのだという話であった。

単純すぎる話かもしれない。しかし裏には何世紀にわたって新興工業国の挑戦を退け続けてきたアングロ・サクソンの歴史の重みがあり、なかなか説得力があった。為替はなぜ変動するか、いろいろ屁理屈を付けて説明できないこともないが、この話が今のところ一番私の趣味に合致している。
最近の急速な円安の進行で、日本国内に不安感と悲観論が広がっている。でもこれは過去の行きすぎた円高を是正しようとする「為替の神様」の意思と考え、もっと素直に喜んでよいのではないか。現に着々と円安の好影響が出てきている。

まず貿易動向であるが、輸入数量は横ばいが続くなかで、輸出数量は96年初から約10%の伸びを示している。その結果、貿易黒字は96年の第2四半期を底として2四半期連続の増加となった。

背景に円安があることは勿論である。為替の変動がどれくらいのタイムラグをおいて貿易に影響を与えるのか、過去の例を見ると約1年半から2年かかっている。今回の円安は95年の第2四半期からで、まだ一年しか経っていない。本格的な黒字拡大はむしろこれからと考えるべきであろう。失速寸前の国内景気にとってまさに恵みの雨となる。(またぞろ貿易黒字が膨れ上がると通商摩擦を心配する向きもあるが、いまの日本にとって最も大切な国際的責務は、自国のリセッションを回避することである)

さらに対外直接投資の対内直接投資(国内設備投資)への振り替えがある。日本産業の海外移転は構造的な基調であり少々為替が円安に戻ったとしても簡単には変わらない。現に96年の対外直接投資はまだ増加基調が続いており、円安が対外直接投資を減少させるまでには至っていない。しかし前回89年の円安進行期には約2年後の91年に海外直接投資の減少が観察された。タイムラグは2年とすると、今回は年央あたりから日本の海外直接投資は減少に転ずることになる。そのうち相当分は国内の設備投資にまわると考えられ景気にはプラスの効果がある。

円安の景気浮揚効果は定量的にどのくらいかだが、120円/ドルが続くとしてモデルで計算をすると、当部の年末の97年度の予測成長率1・5%(前提レート107円)は、2・2%に上方修正されることになる。これはもう立派な巡航速度といってもよい。

経済モデルは万能ではない。しかし実体経済はだいたい理屈通りに動くものだ。行きすぎは必ず「為替の神様」が是正してくれるのである。

橋本尚幸

1997年1月6日月曜日

「民活」が必要な国内景気

景気予測の季節になった。毎年この時期には、簡易モデルなどによるマクロ的な予測作業に並行して、実際に商売をする営業部門がどう景気を見ているか、時間をかけじっくりとヒアリングをすることにしている。

 なにせ総合商社の取扱品目は2万点を超える。それぞれの商品にはそれぞれの業界がある。業界ごとにその道何十年の商社マンがいる。こういった第一線の情報を丹念に聞くことで、統計数字だけではわからない日本経済の生の姿が正確に見えてくる。

 さて、そうやって聞き取った景況感であるが、なかなかきびしいものであった。統計の数字をみる限りでは、景気は緩やかな回復と読めるが、実態はそれほど楽観できないとの印象を受けた。
 まず第一に業界の満足感がまだまだ低いということ。通常の景気回復期には絶好調で自信に満ちあふれている業界があるものだが、今回はそんなことはない。よいところもあるが、好況感も「ちゅうくらい」なのだ。

 二つ目は先行き不透明感である。いま調子の良い業界でも現在の好況が来年度も継続することには確信が持てずにいる。

 三つ目は「まだら模様」という点である。晴れの業種や曇りの業種というように、業種によってまだら模様がみられるのは毎度のことである。しかし今回は、この業種ごとのまだら模様に加え、品種によるまだら模様、企業によるまだら模様と、まだらが三つどもえに複雑に入り込んでいるのが特徴である。背景には日本産業の大きな構造変化がある。いろんなレベルでの激しい競争が続き、いよいよ勝者と敗者の区別がはっきりしてきているとの印象である。

 このような景気の基調の弱さは、計数的アプローチでも裏付けられる。経済調査チームで作業したが、来年度の実質経済成長率の予測値は1.5%となった。公共投資の息切れ、消費税率のアップ、特別減税の打ち切りで、来年度は7兆円程度のデフレ効果は避けられない。外需などの一部の需要項目の好転が期待できるものの、実質成長率は1%台とならざるを得ない。日本経済の潜在成長率を計算すると2.5%程度となるので、来年度の成長率が1.5%ということは、来年度だけで実現できた筈のGDPの1%(5兆円)の財・サービスを無駄にすることになる。

 日本産業は大きな構造調整の真っ直中にある。調整の痛みは、対症療法ではなく経済全体の「パイの拡大」のなかで癒されるのが望ましい。経済の構造調整を促進するためにも、もっと高い成長率が指向されねばならない。

 しかし財政赤字が積み上がる中、非効率な公共投資は増やせない事情がある。日本の貧困な社会資本はなかなか充実されない。一方で低金利にも拘わらず、需要の低迷、先行き不安から、民間の貯蓄は国内での設備投資にまわらず海外に向かう。

 政府の公共投資を毎年1兆円づつ効率の良い民間投資に振りかえるだけで、実質成長率は年々0.6%アップするという興味深い試算がある(日経センターの生産関数モデル)。社会資本の整備の「民活」化を加速させるべきである。景気も、この国の将来も、これにかかっているのではないか。

(橋本 尚幸)